傾向と対策(1)
どんな事が噂・デマになりうるのか?
1・噂の傾向
うわさになる話というのは、ある種の傾向がある。
昔から言う「火のない所に煙は立たない」というヤツで、その噂の裏には、ある種の「隠された真実」がある場合がそれに当たる。
「代議士の○○が、XX会社と癒着している」とか「歌手のAと、俳優Bが付き合ってる」という話に良く見受けられる。
これは、第一に「関係者、或いは近しい人間」が発生源である事が多い。誰も聞いてないと思ってる所で、つい口を滑らせてしまったり
場合によっては故意に漏らす場合も考えられる。
しかし、火のない所に煙が立つ場合もある訳で、その場合の発生源は「無責任な発言」が挙げられる。
芸能人のズラネタ、ってのが身近な例である。
ある酒場で、二人の男がTVを見ながら呑んでいた。
A「あの俳優、いつ見ても髪型が変わらないよな・・・」 B「そうだなぁ・・・実はズラだったりして(笑)」 A「かもな(笑)」
ここから、たまたま隣に居合わせた客や、話してた本人達が笑い話として別な所で話す。それが広まって・・・
「知り合いから聞いたんだけどさ・・・アノ俳優ってズラなんだって・・・」って事になる。あとは、尾ひれがいくらでもついていく。
で、実はマジでズラだったりするから面白い・・・パン○ョとか・・・
2・デマの傾向
噂とデマの境界線を引くとすると「社会的な害があるかないか」という事だろうか?
関東大震災の際に発生した「朝鮮人虐殺」を引き起こしたデマなんて、その代表だろう。
或いは、確信を持って伝えられた偽情報がデマ、不確定な偽情報が噂、という言い方も出来る。
噂は「ホントかどうか知らんが・・・らしいよ。」って感じ。
デマは「実は・・・・だぞ。」って感じ。
震災のデマも、最初は噂だっただろう。しかし、どこかでデマ、即ち「確信を持った情報」になってしまったのではないか?
その変異に力を貸したのが「極限の不安感」だろう。
未曾有の大惨事に見舞われ、最低限の目的(普通の生活)すら危うい状況に陥った時、どこかに「共通敵」を見出す事によって周囲との
「共通目的」を持とうとする。敵として認識されるのは「自分達とは違ったモノ」である。あとはカンタン。つまりは「イジメ」のすごいヤツ。
子供のイジメも、ある種のデマから「共通敵」を作る行為とも言える。「誰ソレは、くさい」とか「アイツはバカ」とかである。自分より立場の弱
いモノに対して攻撃を加え、その行為によって「不安感(イジメの場合、将来という漠然としたモノに対する不安)」を和らげるのである。
このように、デマとは常に「不安感」を抱いたモノである。
3・怪情報の傾向
怪情報とは、読んで字の如く「怪しい情報」なわけで、それは「ホントだったらスゲ〜な・・・」って事である。
噂を大袈裟に言えば怪情報ってわけ。
4・都市伝説の傾向
都市伝説とは「口承によって広範囲に伝わり、その亜種、変種を生み出しながら長期に渡って伝えられた不確定な情報」であろう。
世界的に有名なモノに「オルレアンの噂」がある。
オルレアンにある、ユダヤ人が経営するブティックで試着室に入った女性がいなくなってしまう、といった話である。
誰もが同じような話を聞いた事あるだろう。その「似たような話」は、全て、この「オルレアンの噂」が原典である。
その亜種として有名なのは・・・
「香港のブティックで日本人女性が試着室に入ると、その中にある鏡が隠し扉になっていて、そこから連れ去られてしまう。
その後、その女性がある場所で手足を切られたダルマ人形にされている」という話だ。
この話は「オルレアン+西太后のツボ女」という合わせ技である。
両者の根底に流れているのは「人種差別」という問題である。
オルレアンの場合は、完全なるユダヤ人差別から派生し、ツボ女は史実とはいえ中国人に対する差別心である。
差別という感情は、人間が「社会」という単位を持った時から持っている感情である。人が二人いれば、その中には差別心が生まれる
といっても過言ではないだろう。常に比較対象を持つことによって、人間は進歩してきたのだから当然である。
日本とは、「表向きは」単一民族であるが、実際には色んな人種が混ざっている。しかし、所謂「大和民族」が国を支配した時に「神話」
が生まれ、「日本人は神の子」という妄想が生まれた。つまり、外来者に対する、或いは異形に対する敵対心が強い。
その為に、様々なデマが流れ、姿・形を変えて残っていく。それが都市伝説となる。
別に日本に限った事ではない。どこの国でも差別はある。差別があれば、そこから都市伝説は生まれる。
私的に思っている最大の都市伝説は「エタ非人」だろう。今や「アンタッチャブル」になっている感もあるが、脈々と口承されているのも事
実である。
そんな「偽情報」に対して、どうすれば対策できるのだろうか・・・