考察:3

実例としてのダルマ女

 

・ここで、ダルマ女の実例を挙げてみよう。

 

1・性玩具としてのダルマ

所謂 ”フェティシズム”の中には、常人では考えられないモノが多数存在する。

その一つが「人体改造フェチ」と呼ばれるモノである。

対象が自分の場合、皮膚の下に金属や樹脂の成形物を埋め込む「インプラント」や、

身近な所では全身ピアス等々・・・その中には身体の一部を切断するモノまである。

それが昂じて四肢切断に行きつく事もあるそうだ。

また、他人を対象とした場合でも同じである。

一般には異形と見られる者を寵愛する性癖、所謂「SM」とは一線を画すらしいが、

ある種同じ延長線にあると思われる。

実は、この性癖自体は良くある事ではないかと思う。

ショートカットの女性が好き、という男性が、自分の彼女に「ショートにしろ」と言うのも

ある意味では ”同じ感覚”なのではないか?

どちらも「自分の嗜好に合わせて容姿を変える」のだから。

 

2・見世物としてのダルマ女

 

明治の頃、ある女性がいた。その女性の名を「中村久子」という。

久子は幼い頃に四肢を失った。しかし、自身の懸命な努力によって口を使って

人形を縫える程の裁縫技術を持っていた。しかし、当時の日本では障害者に働き口

はない。仕方なく久子は「見世物小屋の芸人」として糊口をしのぐ。大正15年の事である。

当時、久子に付けられたキャッチフレーズは「ダルマ娘」だった。

時は過ぎ昭和13年8月。久子は東京第三陸軍病院を慰問した。

陸軍病院の舞台、四肢切断の女性が神業のような早さで針に糸を通し、それを口にくわえて

普通の女性より早く着物を縫い、魔術のような切り紙の芸を見せ、口に筆をくわえ見事な字を書くのである。

それを見た傷痍軍人たちは、驚嘆の目で彼女の芸を見、久子の講演を涙して聞いた。

これがきっかけとなり、後に久子は見世物小屋を去り、講演をして各地をまわるようにようになっていった。

そして、それは天寿をまっとうする昭和43年まで続いた。

 

道徳の授業でも取り上げられる話なので、見聞きした人も多いと思う。

そこには障害を持つ者の壮絶な人生という感動もあるが、もう一つの側面として

「障害者に対する蔑視」という社会の後ろ暗い部分も見え隠れする。

久子は、その努力、才能によって世間に認知された。しかし、世間に認知されずに消えて行った

「ダルマ娘」たちも存在したのではないか?

 

その「消えたダルマ娘」の中には、「ダルマ女の話」に出てくるような女性もいたのではないか?

 

考察4:総括

 

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